広島市議会 2021-09-17 令和 3年第 3回 9月定例会−09月17日-02号
宮城県気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館においては,破壊された気仙沼向洋高校の校舎や津波で流されてきた車などの遺構の展示が物言わぬ語り部として,震災の記憶と教訓を伝えています。そして,併設された伝承館の映像シアターでは,被災者の思い,命の大切さをテーマにした動画が上映されており,被災者が家族を失いながら懸命に生きる姿に目頭が熱くなりました。ちなみに,この動画はNHKの報道特集でした。
宮城県気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館においては,破壊された気仙沼向洋高校の校舎や津波で流されてきた車などの遺構の展示が物言わぬ語り部として,震災の記憶と教訓を伝えています。そして,併設された伝承館の映像シアターでは,被災者の思い,命の大切さをテーマにした動画が上映されており,被災者が家族を失いながら懸命に生きる姿に目頭が熱くなりました。ちなみに,この動画はNHKの報道特集でした。
実際、先ほどの御答弁の中で、これまで平和学習していく中で、例えば被爆の語り部さんからお話を聞いたりとか、あるいは平和記念資料館とかに行って見学したりとか、そういう中で子どもたちがみんなの前で感想を発表したりとかいうことが、かつてこれまでやられてこられた、そういうのが、実際その子どもらが感じたことというのは、被爆体験のまさに継承なんですね。
その活動内容といたしましては,8月6日の日に福山市原爆死没者慰霊式の開催を行ったり,あるいは被爆体験の伝承といった語り部活動,こうしたものに取り組まれているところでございます。
原爆被害者の会では,被爆体験を集め本にしたり,語り部として語り,講演し,記録映像に残したり,また被爆2世と記憶を絵に描き残していますが,会の運営が難しくなり解散になるところもあり,継承が大きな問題となっています。被爆体験の継承について,本市の取り組みをお示しください。また,学校における平和学習の取り組みについてお示しください。 次に,防災行政についてお伺いいたします。
また,その他の事業として,1,被爆体験講話会として,長崎市から3人の語り部を小・中学校へ派遣する事業,2,平和をテーマに市民から作品を募集して展示するなどの事業を行っているようです。 多くの人が広島を訪問し,被爆の実相に触れることは,大変重要であると考えますし,特に小・中・高生にそうした体験を積んでいただくことは,核廃絶を目指す広島にとって大変に意義あることと考えます。
地域では,復興まちづくりプランに位置づけた拠点施設について定期的に話し合いを重ねており,防災知識を高めるための研修,震災の記憶を残し,語り継ぐための写真の掲示や語り部の育成,関連資料の収集や保存スペースなどの検討や,これらを地元が主体となって運営するといった施設の具体化に向けた話し合いが行われています。これらをまとめた地元としての計画案を市へ提出したいと考えております。
高齢者にお願いしたいのは、語り部として中通を徘回してもらうことです。人生に悩んだら中通で何でも話を聞いてくれるおばあちゃんと、つえを振り回して厳しく叱咤激励してくださるおじいちゃんがいる、そんなまちはどうでしょうか。店番には高齢者にいていただきたいと思います。某まんじゅうの宣伝は広島県民なら誰もが見たことがあるのではないでしょうか。
高齢者にお願いしたいのは、語り部として中通を徘回してもらうことです。人生に悩んだら中通で何でも話を聞いてくれるおばあちゃんと、つえを振り回して厳しく叱咤激励してくださるおじいちゃんがいる、そんなまちはどうでしょうか。店番には高齢者にいていただきたいと思います。某まんじゅうの宣伝は広島県民なら誰もが見たことがあるのではないでしょうか。
これは26年度で廃止になりますが、教育委員会といたしましては、大げさな言い方かもしれませんが、府中市の歴史の語り部といいますか、伝道師の育成といいますか――もう既に伝道師みたいなマイスターさんにも参加いただいているんですけれども、このマイスター講座、研修講座を引き続き27年度も6回程度は開催したいと。
これは福山市がこれまで原水禁あるいは平和行政を進めていく上で,非常に市との連携なり,被爆者の語り部を含めてそういう経験を継承していく上で重要な団体の一つであったというふうに私も理解しております。そういう面で,市としてこれまでの支援やこの解散を受けて,今後考えられている方針等があれば,お聞かせをいただきたいというふうに思っています。
本市の小中学校の具体的な取り組みを幾つか挙げますと、まず、各教科等における取り組みとして、主に小学校では、広島平和公園への社会見学、中学校では、長崎県や沖縄県等の修学旅行において、語り部の方からの聞き取りや慰霊碑、資料館の見学を通して戦争や被爆の実相に触れ、命の大切さ、平和のとうとさを実感として学習しています。
それらを取りまとめて、被爆の実態アンケートや証言など、被爆の実証の歴史書とフィルムによる歴史語り部映像を被爆70年の記念事業として残すべきと考えますが、いかがお考えかお伺いをいたします。 3つ目、3年後、2017年には、厚木基地からの空母艦載機移転が近づいております。今以上に危険や騒音がひどくなることは容易に予測できます。
地域に暮らす被爆体験者の方々の語り部の活動も決してイデオロギーではないのです。このような思いがあり、廿日市市議会にも違う考えの議員もいるということを表明しなくてはいけないと考え、この議場で発言させていただきました。
彼女は,3月11日2時46分,5時間目の真っ最中,どんどん揺れが強くなっていき,すごく怖かったこと,母親や3人の弟を探して再会した様子,離れ離れだった父親の救助を自衛隊に頼んだこと,自宅や友人の家屋が流出してしまった悲しみ,ろうそく1本で暗夜の教室で新聞紙を布団がわりに寝たことなど,見えないところで被災者たちが厳しい生活を送っていることなど,生々しい実体験を語る語り部として,小さな命を全開にして,これまで
本市における取り組みとして、西城地域では、古事記への路と題したパンフレットやサイン整備、語り部とともに古事記への路を歩き、比婆山等の魅力を肌で感じて、神話、伝説等を学ぶ取り組みを実施しています。
ただ、今校長をはじめ、わたしもそうですが、教員の中に戦争体験がないということでですね、風化しているような状況もありますので、各地域それぞれやっぱり戦争体験とか、そういう語り部といいますかね、そういったものを発掘しながら、学校の中でやっぱり時間を少しでも持って、そういう話を聞くとかですね、体験を通してそういったことを学んでいくということをしていかなければいけないと思っております。
それから、教育長、平和学習なんですよね、ほとんどのといいますか、多くの学校の平和学習といいますと、被爆者の実情を聞いたりとか、語り部を見習ったりとか、今のドーム辺りを視察に行ったりとか、こういったいろんな直接的な平和活動が目につくんですけれども、教育長が最後の命というところでおっしゃいました、例えば花を植えるとかというような話が出ましたが、花育、あるいは動物や昆虫辺りと接して、命の大切さを理解するといったような
戦争体験の伝承についても,本市にも,被爆体験のある方,福山空襲の被災者の方,41連隊の生き残りの方,戦艦大和の生き残りの方等がおられますが,いずれの語り部の方も高齢化していますので,ぜひとも体験の伝承に積極的に取り組むよう求めるものですが,お考えをお示しください。
子どもに対する平和教育には,戦争遺跡の見学や体験者の話を聞くことが非常に有効とされておりますが,年々遺跡は風化し,語り部も減少していき,今後次世代にどのように伝えるかを真剣に検討しておられました。 本市も,人権平和資料館にて福山空襲の体験談などを伝えておられますが,同様の問題を抱えていると思われます。
幸い,この建物は,地下部分のみが原爆被爆の跡をとどめているわけでありますので,この際,ぜひとも地上部分は建てかえて,修学旅行生や語り部ボランティア,さらに一般観光客の拠点施設として活用するよう再考していただければと思っておりますが,いかがでしょうか。お考えをお聞かせください。 2点目は,電車優先信号の設置についてでございます。